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2025.05.20
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大阪・北浜(きたはま)。かつて「天下の台所」として商人文化が栄えたこの地は、大阪の経済とともに食文化の中心地として発展してきました。
水運が盛んな北浜では、川魚料理が庶民や商人の間で広く親しまれ、中でも鰻は滋養強壮によい食材として宴の席や特別な日のご馳走に重宝されてきたと言います。
そんな歴史を今に受け継ぐ老舗が、約300年前の江戸時代中期に創業された「本家柴藤(ほんけしばとう)」です。
お店の歴史を教えてくれた女将、柴藤滋子さん
「本家柴藤」の歴史は、将軍家に川魚を献上していた川魚商が、大阪城の殿様から屋形船で料理屋を営むよう命じられたことから始まりました。女将の柴藤滋子(しばとう しげこ)さんのお話によると、創業当時の船の天井が60年ほど前に見つかったことから、屋形船で鰻を提供していたことは確かなよう。
その後、大阪市の都心に流れる土佐堀川の南側で商売を続けていましたが、屋形船では安定してお店を営むことが難しく、やがて土地を買い陸でも鰻を提供するようになりました。
お店に飾られる12代目店主、治兵衛さん(左側)の写真
長い歴史を辿ると、「本家柴藤」に脈々と受け継がれてきた想いを物語る象徴的な出来事が見えてきます。
第2次世界大戦後、日本中が食糧難に見舞われる中で鰻の入手も困難に。しかし、12代目の柴藤 治兵衛(しばとう じへえ)さんはそのような状況下でも全国を巡り、愛知や愛媛などから懸命に鰻を仕入れました。
手に入った鰻は、自分の店だけでなく北浜や京都の他の鰻屋にも分け与えたという逸話も。「うちだけが繁盛すればいいのではない、地域全体で商売を続けることが大切。」歴代の店主たちが守り抜いてきたその信念は、今も女将の心に息づいています。
苦難を乗り越え、今も多くのお客様を迎える店内
大阪の発展とともに移転を経験しながら、地域に根ざした商いを続けてきた「本家柴藤」。バブル期に都市計画による立ち退きを迫られたことで現在の場所へ移転してからは、店舗の規模が縮小し赤字続きの苦しい時期もあったそうです。
しかし、女将は「雨風がしのげる限り、屋台でも店を続ける。」という覚悟で暖簾を守り続けてきました。その言葉通り、「本家柴藤」は幾度もの困難を乗り越え地域の変化に寄り添いながら歴史を紡いできたのです。
注文が入ってからじっくり焼き上げられる鰻
“老舗に苦難はつきもの”と、揺るぎない覚悟で伝統の味を繋いできた「本家柴藤」。そんなお店が約300年にわたり提供し続けてきた鰻は、長年付き合いのある問屋を信頼し、選び抜かれたものだそう。
厳選された鰻一匹一匹の状態を見極め、どの料理に適しているのかを判断するのが職人の腕の見せ所。この美味しさの決め手になる“焼き”の工程は15代目店主、柴藤 成利(しばとう なりとし)さんが担い、日々鋭い眼差しで鰻を焼いています。
「どのタイミングでタレをつけ、鰻を返すかはこれまでの経験をもとに全て感覚で行っているようです。焼き加減で味が変わってしまうので、15代目はいつも全神経を研ぎ済ませて鰻を焼いていますね。」と、話す女将。
焼き上げられた鰻に、素早くたっぷり秘伝のタレをまとわせる
秘伝のタレは、愛知の盛田醤油、九重味淋、神戸日本盛(にほんさかり)の酒のみを使用し、水や出汁は一切加えずに作られています。「調味料の組み合わせは知られても、他の店と同じ味になることはありません。」
女将のその言葉に込められた自信は、職人が “焼き” に込める想いの証。 そんな“焼き” の技こそが「本家柴藤」の味を支えているのです。
「本家柴藤」名物メニューの“大阪まむし”
「本家柴藤」に足を運んだなら、必ず味わってほしいのが“大阪まむし”。ご飯の間に鰻を挟み、鰻がご飯の熱をまとうことで柔らかな食感に仕上がるこの料理は、「本家柴藤」が編み出した逸品です。ご飯の間に挟み蒸す、間蒸す(まむす)ことから“大阪まむし”と名付けられました。
美味しいものを追求し続けた先人たちの想いが詰まった“大阪まむし” 。それは、300年の歴史を持つ「本家柴藤」の伝統そのものなのです。
時を超えて受け継がれた職人の技が、香ばしくふっくらとした鰻の一重に宿ります。備長炭の香りとともに味わうそのひとときは、食事という枠を超え、旅の記憶に深く刻まれるはずです。
本家柴藤
電話: 06-6231-4810
住所:大阪府大阪市中央区高麗橋2-5-2
アクセス: Osaka Metro堺筋線 北浜駅 から徒歩2分
HP :http://www.shibato.net/
SNS:https://www.instagram.com/honke_shibato_official/
*営業時間や定休日についての詳細は、上記のリンク先にてご確認ください。